痴的好奇心のすゝめ

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ラインを辞めてみた

みお、ラインやめたってよ。

 

と、「桐島部活やめるってよ」のテンションで言うと、ものすごく自意識過剰っぽくなるので、この言い回し嫌い。

 

■ラインをやめた理由

 

事の発端は、久しく会ってなかった大学時代の友達と偶然遭遇したこと。楽しく話をして別れ、後でラインが来た。
ここで、私は恥ずかしくなってしまった。(?!)
「歩く黒歴史」の私は、もちろん大学時代も黒歴史を量産している。こう思っていること自体が自意識過剰で、被害妄想が激しい人の特徴なのだろうが、過去の友人と会うと恥ずかしくなってしまうのは、今に始まったことではない。
ラインは、連絡の垣根が非常に低い。会うと恥ずかしくなってしまう人の名前がご丁寧にリスト化されているラインは、羞恥心おこしアプリと化した。
それと、私は最近、人生で初めて「仕事が忙しすぎて潰れそう」という経験の渦中にいる。20代半ばで「多忙が初めて」なんて恥ずかしい話だが、過去に勤めた会社はじっくり作業することが望まれる場だったのだ。転職し、小さな会社に入ってしまったものだから、営業も、企画も、経理も、すべて自分でやることになった。長期出張も度重なる。重ねて私の能力が著しく乏しいので、プライベートでも、仕事に関連する二つの習い事をしており、宿題は大量にあるが、回らない。細々と書かせて頂いているトイズマガジンのコラム月6本も、溜まったまま。あれっ、これ回らないじゃん。「びっくりした。」というバカで単純な感想が出てきた。ギブアップしないために、ガチなテンションの「タイムマネジメント」が必要になった。
でも、時間が本当に無いのか?と問われると肩身が狭い。私は仕事に疲れたり、イライラしたりしてストレスがかかると、ネットサーフィンで様々な刺激的な情報を大量に入れることが癖になっていた。なので例えば、仕事でひときわクタクタになって帰ってきた日のほうが、朝方までネットサーフィンをしてしまう傾向にあった。
私は割と頻繁にラインをする。何か起こった時、何か感じたとき、すぐに送っていた。

人生の中で、稀にものすごく気の合う人に出会うが、その一人である前職の女上司は、スマホを持たない、北欧インテリア好きでなんかバカ高い椅子とか買っちゃうけど、思慮深い、素敵な人だった。
その人は携帯メールしかできないので、ラインという発達した文化をガン無視して、メールで長文を送りあっていた。
そうか、ラインが無くたって、繋がりたい人とは繋がれる。
この上司のお陰で、「ラインなくても大丈夫かも」と思ったし、「ラインやめてみたらどうかな?」という好奇心が収まらず、「ライン消すので用あるときメールください」とアドレスを添えて、ラインアカウントを削除した。ついでに、いつもめちゃめちゃブラウジングしてしまっていたツイッターも削除した。

 

■ラインアカウントを削除した結果

 

削除してみたら、気付きがわんさかあった。

まず、死ぬかと思うほど、さみしい!!!!!
小さなこと大きなこと、逐一ラインを取り合っていた友達から、気軽に連絡が来ない。こちらからも、ラインでなくメールだと、短文をポイっと送るのは何となく気が引ける。ラインで頻繁に小さな連絡を取ることが、かなり心の支えになっていたんだなとしみじみ思った。そして、今まで繋がっていた人たちがいなくなって、味方がこの世に一人もいない気分になった。ラインが、いかに生活を侵食していたか痛感した。たぶん、ライン削除したの失敗だったわ。ラインは、私の日々のストレス解消になってたんだ。多分、これでますます社会と隔離されて、病んでいく…そう思った。
しかし、考えてみれば、ラインを使わない先輩だって、気がふれることなく生きている。自分も中学生の時はラインなど使っていなかったけれど、生きていた。あ、でも、中学生の多感な時期は、よく、わたしはひとりだーとか、味方がひとりもいないとか、死にたいとか、思ってたかな。もしかしたら、そういう漠然とした不安を、常に繋がってる感覚にさせてくれるラインが解消してくれたのかな。
でも、ラインを使っていない現代人も居るのだし、このどうしようもない孤独感は慣れで何とかなるだろう、と思い、ふつふつと現れた不安感や焦りは、禁断症状だろうと思ってやり過ごした。
ラインを削除して2日目。電車やベッドでぼんやりやっていたSNSが無くなり、手持ち無沙汰になった。そうなると、やることは限られる。私はその時間を、アウトプットに充てるようになった。習い事の宿題とか、仕事とか、アダルトコラム作成。時間はこんなにあって、こんなに捗るのか、と驚いた。ラインとツイッターがあった時、私はインプットをしすぎていたようだ。タイムラインが日々更新され、最新で興味深い情報が蔓延しているSNS。多くの情報を持っていたほうが有利な時代。これに逆行することは、情報弱者への道のり。ホリエモンはあちゅうから言わせると、この無意味なソーシャルデトックスは、インプットの幅を狭めてしまい、良いことなどひとつもないと思うだろう。しかし、私のアタマとか能力のキャパからすると、日々インプットをしすぎていたと思う。毎日更新される大量の情報に浴びるだけ浴びて、享受して、終わり。
また、SNSを通して人と繋がってる感を感じたことで、アダルトコラムの創作活動に羞恥心が芽生えてきた。本当は人目を気にせずに書きたい、特に12月からは短編小説のような創作文が書きたいと思っていたが、創作となると自分の感覚をさらけ出すことになるので、尚のこと手が進まない。しかし、SNSを辞めてみると、「書きたいこと書いていーんだ、私は隔離されてるもん」と、謎の山籠り陶芸家の気分になって、書くハードルが下がった。やっぱり、何かを創作したい人は、世間と一定の距離を置くべきだと思う、アーティストとか、歌手とか。でも、こうして人と隔絶することが、「病み」への入り口なんだろうとは思うけど。
日々の生活のアタリマエを壊してみるのは、とても面白い。私はアタリマエクラッシャーだと自分で思う。留学した自分にとってFacebookのアカウントを消すことは、その当時に出会った人のほとんどと繋がりがなくなることを意味した。大して心が通じたわけでもなかったガイジンたちとの縁は、無くなった。けれど、その時も、「ホントに大事な縁は続くっしょ」という突っ張った気持ちで消したところ、まあ続くものは続くし、何かと見栄を張った写真を撮ろうという妙な闘争心が無くなり、自分にとって快適な道を選べるようになった。

 

アカウントを削除して最悪なことが起こった。販売していたラインスタンプのアカウントまで、消えてしまった。3種類販売しており、かなりの時間をかけて苦労してつくったものだったし、微々たるものだがお金も入っていたのに、ものすごいショックだった。しかし、ラインに問い合わせてみたところ、新たにラインアカウントを作れば、過去のスタンプ販売のアカウントがそのまま引き継がれるとのこと。よかった〜。

ラインとツイッターを消しただけで、仕事やコラムの作業の時に無理やり動かしていた指が、ポイポイと文字を打って、思考が深まる。ラインを削除して、いろんな気づきがあった。次はインスタ削除かな?インスタ見るのはストレス解消なんだけどな〜。でもインスタも際限無く情報が出てくるし、消したらまた何か変わるかな。

 

■ラインアカウント削除、良かったの?悪かったの?


今の時代、黙っていても流入してくる大量の情報。情報弱者になっちゃうけど、ちょっと情報の渦から離れてみても良いかも知れない。私の感想は、「あーほんとに良かった!はかどる!」である。