三尾やよい

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「デブキャラ」という生き方

「デブキャラ」という生き方

 


自分の人生に細い時代のなかった私は、20代後半にさしかかり、 ますます後戻りのできない中年体型に磨きがかかってきた。 たらふく食べたあとの腹がそのまま戻らなくなったり、 バナナマンの日村のような二重あごが「今だけ」のものではなく、 キャラデザのデフォルトになってきた。

 


学生時代は、「もうヤダ」「なんで私だけデブなんだろう」 と悩み、足の細い友人と並んで街を歩いて、 同世代特有のショムニ的場面になって「太っ」と言われ、 帰宅し深夜から明け方にかけて、私はこの世の終わりだ… という気分でめそめそと泣く… というデブあるあるのエピソードも経験した。

「ていうか、日本の女の子の基準が細すぎるんだ。 あんなの鶏ガラだ。私は海外では細い。私は海外基準なんだ」 って、日本という国に怒りの矛先を見つけ、「だから、 私は海外で暮らすべきなんだ」 という発見をして海外居住の道を探ったりもした。

 


就職活動中、海外でも日系企業が多い地域に飛び、 英語と日本語の履歴書を持って回ったりもしてみたが、 ノープランノースキルの私だと「じゃあバイトからでも」 となるような甘い世界ではなく、数年日本で働いていると、 もう海外への希望もみじめに縮んでいき、「 私は日本で生きるしかない」って覚悟が決まってきた。覚悟とは、 諦めのことだ、ってつくづく思う。

 


長年デブ状態が続くと、 デブで可愛い仲間を見つけて自分を安心させるようになる。「 渡辺直美なんて超級のデブだけど、 日本でトップのインスタグラマーだし、 たくさんの女性の憧れだし、アパレルブランド成功してるし、 チョーおしゃれじゃん。デブでもおしゃれになれるんじゃん」「 人気女子アナランキングの一位はみとちゃんじゃん。 過去歴代の女子アナと違って、 男だけじゃなくて女からも高齢者からも人気じゃん」「 柳原可奈子は可愛いじゃん」「アジアン馬場はおしゃれじゃん」… 。こうして、デブ以外に強い魅力を持つデブを引っ張り出しては、 「彼女があんなんであんなに輝いてるんだから、私は大丈夫」 って心の安寧を保っていた。そして、 だいたいのデブが愛されているように見えたから、「 だから私はマスコットみたいな愛されキャラ」 って思いこもうとしていた。

 


母親から「こぶたちゃん」とか言われれば、 4本足を縛られた豚になりきったし、彼氏から「イベリコ…」 と言われれば、養豚場ごっこをした。

 


けれど、このすべてのデブキャラづくりは、 私の精神を少しずつ傷つけていたなぁと思った。

 


服は、もちろん着たいものではなく、着られるものを選んでいた。

そんなのは、誰だってコンプレックスがあるから、「 いかり肩は出したくない」「こんな派手なのは勇気がいる」 とかで避けたりはするだろうが、 デブというのはとにかく制約が多すぎた。

 


・ノースリーブ

・二の腕が見える服

・ひざこぞうが見える服

・お腹の形が見える服

 


こういったものは避けるべきものであり、

エスト総ゴム

はオバちゃんの代名詞ではなく、 自分の服の必須条件になっていた。

 


多くの女が好きな映画に挙げる「プラダを着た悪魔」だが、 この中で、じゅうぶんに細い主人公に「9号はデブ。 ここには2号か4号の服しかない」みたいなことを言い放つシーンがある。

そう、実際問題、美しい服は細い人向けに作られている。デブは、 美しい服を身につける資格がないのだ。

 


私はファッションに関わる仕事をするため、 この自分の中の制約をなくしたいと思った。 本当はデブキャラなんかなりたくない。本当は手も足も出したい。 手足が出ているほうが垢抜けて見えるのなんて知っている。

 


なりたい自分になったほうが、きっと心は軽いだろう。 毎日渦巻く、どうしようもない、 矛先もない嫉妬心や羞恥心はなくなるだろう。

そんな日を願って、私は整形の日を心待ちにしている。